平成9年初版。出版されて間もない頃に、図書館で借りて読み始めたものの、かなり早い段階で挫折。
-島田 荘司 『三浦和義事件』

その時は、この事件に興味があったわけではなくて、この人の本だから読もうと思っただけなのだ。
平成9年初版。出版されて間もない頃に、図書館で借りて読み始めたものの、かなり早い段階で挫折。その時は、この事件に興味があったわけではなくて、この作者の本だから読もうと思っただけなのだ。

プロローグ~
 プロローグ~
マスコミサイドの視界~
三浦和義の視界~
裁判
裁判~
 後記、幻想のロス疑惑

という構成。

二段組、660ページを超える大作。
二段組、660ページを超える大作。ものすごく読み応えがあった。

ここのところ何度も映像が流れる、オレンジのつなぎ姿を思い浮かべながら読み進めている途中。「ロス疑惑」なんていう事件がなくても、小説のネタになりそうな要素が満載の人生を送られている方みたいだ。
まず、プロローグで、そもそもこの事件がどんなものかを知らないということがわかる。

《2008.3.6記》
そして、マスコミサイドの視界。いわゆる「ロス疑惑」でマスコミが大騒ぎをしていた頃に、まるで関心がなかったので、こんな一連の出来事があったのかと興味深く読む。

[[本の覚え書き/読みかけの本]]
次は、三浦和義の視界。「ロス疑惑」という事件がなくても、小説のネタになりそうな要素が満載の人生を送られている方みたいだ。少年時代のことから書かれているので、事件に関わる記述以前の部分は、親戚の芸能人の話なども登場して、小説のように気軽に読む。

ところが、事件に関わる部分になると、当然、内容が「マスコミサイドの視界」と重複するので、誰に騙されているのかと頭が混乱。この本の資料とされる手記を書いている三浦氏か、筆者か、それとも「マスコミサイドの視界」に出てくる話か・・・。

「裁判」。これでも、「膨大な公判調書の一部を梗概化し、要所要所に最低限の解説を加えて」書かれているとのこと。自分のペースで目で追っていても理解しがたいのに、一般人には、口頭で述べられてもついていけないだろう内容。「殴打裁判・一審」、「殴打裁判・二審」、そして、「銃撃事件・一審」。銃撃事件の一審で有罪となり、控訴審にかかる以前でこの本は終わっている。

筆者の後記では、証人によって証言内容が異なる事実についての推理がなされていて、それが真相であるかのような印象も受ける。

ならば、なぜ今頃、再逮捕ということになったのか?

この本を読む前は、事件をろくに知らないまま、「限りなく黒に近いグレーだったのに、確定的な証拠がなくて有罪を立証できなかった」、「ロスアンジェルスの捜査当局を激怒させるような言動があって、執念深く捜査を続けられていた」と勝手に思っていたので、ここのところ何度も映像が流れる、オレンジのつなぎ姿を思い浮かべながら、ますます疑問が募る。

《2008.3.15記》

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