ぬいざんまいは、ぬいぐるみと読書とスポーツ(特にサッカー)が大好きな葵が作っている、実にテキトーなサイトです。
なるべくシリアスなことは避けて、世の中を斜めに面白く(?)見て生きていこう・・・という本人の世渡り感覚が如実にうかがえるサイトです。(いやなヤツだね(笑))
マスコットは、じじぞ〜という黒ネコのぬいぐるみとなっております。それでは、冬装束でご挨拶〜
とにかく、葵は本が好きなので、活字がないとコロリと死にます。何も読むものがないときは、薬の効能書きや、電話番号帳でも読みます。
そこで、「日々の名言・珍言祭」というコーナーを開くことにしました。
今読んでいる本や、昔読んだ本の中から、感銘を受けた言葉、思わずツッコミたくなった言葉を抜書きして、ご披露してみようかと。
よろしくお願いしますね(ぺこり)。
最新の10件を表示しています。
過去の名言・珍言をごらんになりたい方は日々の名言・珍言祭の蔵をご覧になってくださいね。
●11月20日(木)
田中啓文 『邪馬台洞の研究』(講談社ノベルス)より
九個のカレーパンを平らげてしまった比夏留(ひかる)は、もうひとつの袋からハヤシパンというのを出して、食べはじめた。
ハヤシライスのルーが入った揚げパンだ。
彼女のTシャツには「林も悪(わる)でよ・・・」という文字が印刷されており、なかなかぴったりのチョイスである。
●11月13日(木)
レックス・スタウト 『殺人犯はわが子なり』(早川ポケットミステリ)より
ウルフは立ち上がった。「いっしょにどうかね、フライヤー君?
みんなに行きわたるぐらいは十分にあるよ。
チキンのレヴァーと白ワイン漬けのマッシュルーム、それに餅だ。
もうひとり分 たのむよ、フリッツ」
●11月6日(木)
ロイ・ヴィカーズ 『殺人を選んだ7人』(早川ポケットミステリ)より
一世紀ほど前には、われわれは、サーカスの見世物にオレンジの皮を投げつけて愉しんだものである。
エドワード十世時代になると、伴侶を得るための生理的条件をやむなく奪われたオールドミスの悲劇を、われわれはたっぷりと愉しむのである。
すさみはじめた彼女たちの神経組織は、ますますその振舞いを奇矯なものとし、人格的な威厳を失わせるのに役立つのだが、それがミュージックホールや漫画新聞の好材料になる。
オールドミスをたねにした駄洒落は、だれでも心あたりがあるので、受けるのである。
●11月4日(火)
大島弓子 『グーグーだって猫である』(角川書店)より
以前にうちにあった15年ものの冷蔵庫は、ドアの開け閉めのたび「モウイイヨ〜」と言っていた
つまり 「もう私を捨ててもいいから 新しいの買いなよ〜〜」と 言っていたのだ
●10月30日(木)
皆川博子 『彼方の微笑』(創元推理文庫)より
彼女は、おそろしくプライドの高い女だよ。
彼女のプライドは、彼女自身が他人に奉仕することはいくらでも許す。
しかし、他人が彼女のためにつくしたり何かを耐えたりということは、だめなんだ。
●10月27日(月)
丸谷才一 『絵具屋の女房』(文藝春秋)より
学問とはしばしば、真実のためにはやむを得ないといふ口実を設けて、柄の悪い話をする作業なのである。
ニーチェの哲学なんかはその典型で、あれはちよつと頭がいい人なら少年時代から気がついてゐるが、しかし慎み深いたちなので口に出すのを控へてゐる類のことを最初に書き散らしたから、人間性へのすごい洞察だなんて評価されたり尊敬されたりすることになつたのだ。
●10月22日(水)
長山靖生 『「吾輩は猫である」の謎』(文春新書)より
現在では戦争イコール罪悪という観念が浸透しているが、明治三十九年の日本で、そのことを公言する人間はほとんどいなかった。
(中略)なにしろこの時代、旅順が陥落すると、ある百貨店では「陥落記念大売出し」を行なったくらいだ。
まるで日本シリーズの優勝記念大バーゲンみたいだが、元々、このふたつは同じ発想なのである。
●10月20日(月)
皆川博子 『ジャムの真昼』(集英社)より
家族が平和に調和をたもっているのは、だれかに皺寄せがいっているからだ。
おとなしい者、周囲に気兼ねする者、我慢強い者が、声をあげないから、平和にみえる。
●10月17日(金)
高橋源一郎 『人に言えない習慣、罪深い愉しみ』(朝日文庫)より
ケガをした貴乃花が武蔵丸をぶん投げて優勝した時、コイズミさんは「感動した!」といった。
正直で、いい人なんだなとぼくは思った。
ああいう時、ぼくは、観客全員がそのケガをした相手の味方をしている中で相撲をとらなきゃならない武蔵丸はたいへんだなあと思ってしまうのだ。
そんなことでは感動から遠ざかってしまう。
●10月15日(水)
野村雅一 『しぐさの世界 身体表現の民族学』(NHKブックス)より
スペインの画家ダリが、かれが生まれる三年前に七歳で死んだ兄の名サルバドールをあたえられたことはよく知られている。
かれは数々の奇行を、自分は自分であって死んだ兄のサルバドールではないことを証明しようとする努力であったとも説明している。
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